薄墨
御香典とかで薄墨を使う理由。
涙で墨が薄くなった。 というのしか知らなかったんだけど
急な出来事で墨を十分濃く擦る時間がなかった。というのもあるそうね。
現代で墨を擦る人なんてそうそういないのに、薄墨という習慣だけ残ってるのは何故かしらね。
やっぱり薄墨色は物悲しい感じがして、弔いの雰囲気にマッチするからかなぁ
精神分裂
私の大好きな とある配信者がよく”にんぎょう”を使って配信しているのだが
それは配信用に本人が顔を出さないためににんぎょうに喋らせているだけ、とオモテタラ
普段の生活においてもずっとにんぎょうに喋らせたりにんぎょう同士を対話させたりしている(配信はその生活の延長にすぎない)
と知って
それはすごい、我々はにんぎょう劇じゃなくてその人の精神世界の一部を見ていたのだなぁと思って
妙に感動したのだが
そしてその人が言うには
そのにんぎょう達がおる限りは自害するようなことはないと
それで私も、それは何か困ったことがあったときのナイスな精神安定方法だなぁと思って
にんぎょう購入を検討しているところですが
そこまで自分の感情をのりうつらせることができるような、そんなにんぎょう見つかるのかぁ?
ところで私
そうやってもう一人の自分を作ることを精神分裂だと思っていたのですが
ググってみたら統合失調症と同じことみたいですね
言い方が変わっただけで
ロンドンとパリ
私は生まれつき間欠性外斜視の症状があるのだが、
外斜視を表す言葉で、ロンパリというのがある。
ロンドンとパリ、別々の方向を同時にみているから。
蔑称らしいが、私はこの表現が比較的好きである。
逆に「斜視」というと重い。ズシッとグサッとくるものがある。
今は症状も軽くなり 比較的どうでもよくなったが、
アドレッサンス期などは「写真」という言葉にすらおびえていた程。
「ロンパリ」という言葉を知ったときにはなんとなく気分が晴れた。
「そうか、私はロンドンとパリを同時に見ることができる女なんだ!HAHA」とユカイに思った。
世の中には様々な蔑称がある。バーテンとか、運チャンとか百姓とか、、、
よく分からないけど、何となく使わないほうがいいんだろうなとか思ってるけど、結局軽蔑的な気持ちを持ってるかどうかが重要であって、そんな、言葉狩りしなくてもいいんじゃないか派だけど、一応、蔑称とされてるものは把握しといたほうが無難なんだろうな???
ちなみにバーテンという響きもわりと好きだ。フーテンという言葉がまず、いい。
フーテンの中でも好きなフーテンは、若尾文子主演の映画「瘋癲老人日記」に出てくる瘋癲じいちゃん。最高である。
ところで、なんでロンドンとパリなんだろう。神奈川と千葉とかでもいいのに。
多数派
少数派も認めろ!という意見が多数派になって勝ったら、それは矛盾していることになるのか??ということを考えていた
少数派を認めろという人たちの中には「多数派だから優勢」という考え方自体が気に食わないという人が結構いるんじゃないかなと思うけどそうなると「多数決」のシステム自体使えないよね
多数派・少数派というのは事例ごとに流動するものだから、そんな単純じゃないしこれ考えるの本当意味のない悶々なんですけど。
あと、最近、新しい環境に身を置いて、いろいろと驚かれることが多く、(例。「ェエッ蛇が好きなの!?」など)「なんか自分少数派である案件が多いなぁ」と思うが、多数派である場合に自分が多数派であることに気づくよりも、少数派である場合に自分が少数派であると気づく方が簡単だから、そうなるだけで、「自分なにかと少数派だなぁ」と思ってる人は多数いると思う
あとがき
Emmanuel Macronのことを「甘いマスク」と書いている記事を見た。
自分の中での「甘いマスク」というのは、”見ていて、ホワワ~ンとなっちゃう顔”(で本人も割とホワワ~ンとしている)という認識だったので、いやいやマクロンはどちらかというと厳しいマスクだろう、などと思った(特にあの眉毛が厳しい)が「甘いマスク」でググったら厳しい系の甘いマスクの人も出てきたので、「甘いマスク」というのは甘いとか厳しいとかじゃなくて、要するにイケメンってことで認識を改めようかと思います。
でもMacron氏が甘いマスクかというとやっぱり微妙。
大統領としてはかなり目によいルックスであるとは思う